さまざまな捉え方
上の写真はフリー素材ですが、タイトルは「選択肢がありすぎて選びきれない女性のイメージ画像」だそうです。
私は色や大きさなどがさまざまな矢印があり、好みや状況などに応じて選べる選択肢が豊富な状態、と捉えてこの投稿のイメージ写真に選びました。
捉え方はいろいろですね、でもそれでいいのではないかと思います。
選択にもさまざま
一言で選択するといってもその意味はさまざま。Alternativeは選択肢ですが、どちらかというと(二者択一の)選択肢。残りの一方は切り捨てるというイメージがあります。
choiceも選択ですが、「代案、別の取るべき道」的なニュアンスがあります。
私がここで述べたい「選択肢があるということ」に一番しっくりくるのがoption(選択肢)、optional(選択の、自由意思の、選択が自由の、任意の、任意的な、随意的な)です。
言葉の意味はその前後の文脈によっても変わるので、必ずしも正確ではありませんが、「自分に一番ぴったりするものを選択する、でも他の選択肢も否定はしない」というイメージです。自分の嗜好・状況に応じて選択するので、個人が感じる窮屈さはなく、それでいてかつ、他を否定するわけではないので他の人や周りの社会に影響は与えない、より多様性のあるニュアンスです。
「排除しない選択肢がある」ということ
どうしても自分と違う考えは無意識のうちに批判してしまいがち、排除してしまいがちですが、この「排除しない」という考え方は、ますます多様性が必要な社会にとっては重要かなと思います。
現在、選択的夫婦別姓、性的マイノリティ、男女平等など、こういった考えをもつことが必要なことが多数あるように思います。
選択肢があっても、みんなと同じでないと不安だといった気持ちで、ちょっと無理をしながらも大勢に与する人もいるかも知れません。でもそれは一方で、同じでない人を追いやっていることにつながっているかも知れません。
それぞれ無理なく自由に選択できる社会がいいなと思います。
「選択肢があるということ」への基準
世の中にはさまざまな考え、嗜好、行動様式の人たちがいます。そして人々が集団で生活する際に、社会が混乱することなくある一定程度の秩序を保つために一定のルールが定められます。それが法律であったり、規則であったり、慣習であったりするのだと思います。ただ、一定のルールを定めることによって、全体を見渡した時にある特定の考え、嗜好、行動様式を持つ一部の少数者に苦痛や窮屈な思いを強いていたり、負担を負わせてしまっていたりする場合、それを許容する選択肢を増やすかどうか、検討するべき段階にあるのではないかと思います。
そして許容する選択肢を増やすかどうかの判断基準になるのが、かなり抽象的になりますが「道徳的に良いか悪いか」。例えば、殺人は現代の社会では道徳的に悪いと判断される、それに異論がある人は極めて少ないと思います。結果、殺人という嗜好をもつ人に、それを許容する選択肢は増やせないということになります。例えば夫婦別姓は、性的マイノリティは、男女平等はどうでしょう。
「道徳的に良いか悪いか」という考えは時代によって変わってきます。できれば時代をちょっと先取りするような感じで選択肢を増やしていくことができれば、窮屈に感じる人が、過度に負担を強いられる人が減ることができるのではないかな、と思います。
そんな世の中であってほしいと願います。
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